トヨタ2000GTと大仏様~後編~
2026年05月31日
前回の続き
バスで近鉄奈良駅へ。そこから東大寺南大門まで歩いていきます。



駅を出て歩くとすぐに鹿と外国人観光客に出くわします。鹿は堂々としたもので、観光客に混じって普通に歩いています。奈良公園周辺に行かれたことがない方、初めて行く方はここでちょいびっくりします^^
まあまあ巨大な動物がウロウロしてますからね。それと足元に注意ですね(チョコボール対策)。
で、園内や東大寺周辺にて感じたことなんですが、鹿せんべいをあげている観光客はあれど、鹿を必要以上に触ったり、わしゃわしゃ撫でている観光客は見ませんでしたね。あれなんでですかね?なんか普通は撫でたり触ったりしそうなものなんですが、事前に触らないようにガイドさんとかに諸注意とかで言われているのかな?

しかし、暑い。13時を回ったところで気温は30℃を超えてました。奈良国立博物館の人工池で鹿も水浴びしていました。そら鹿も暑いわな。

お土産やさんが立ち並ぶ参道から南門まではかなり人がごった返しておりました。
校外学習か修学旅行の中学生の団体も合流してなかなか賑やかでした^^

東大寺南大門
南大門に掲げられている大華厳寺(だいけごんじ)は華厳宗の大本山「東大寺」の正式名称です。

高さが約25メートル(ビル8階分ほど)もあり、国内最大の山門です。一見すると「2階建て」のように見えますが、門の下に入って上を見上げると、天井がなく屋根の裏側まで一気に吹き抜けている構造になっています。

これは鎌倉時代に中国(宋)の最新技術を取り入れて再建された「大仏様(だいぶつよう)」という非常に骨太で合理的な建築スタイルです。
そして、山門の左右にはおなじみの巨大な金剛力士像(仁王像)が睨みを効かせています。

2体の仁王像は教科書でも有名な運慶や快慶らの仏師グループによって造られました。
一般的に門の向かって右側に口を開けた「阿形(あぎょう)」、左側に口を閉じた「吽形(うんぎょう)」が置かれますが、東大寺南大門ではこれが逆になっています。


なぜ逆なのかは謎なのだそう。そして驚くのは8.4メートルもあるこの巨大な像2体を、彼らはわずか69日間で完成させたと言われています。あらかじめパーツごとに分担して彫り、現地で一気に組み立てるという、現代のプラモデルやプレハブ工法のような超効率的なチームワークで行われました。
数十年ぶりに目にしましたがやはりその大きさに圧倒されます。
南大門を抜けて、すぐ左に東大寺ミュージアムがあります。

鏡池から右手に進むと二月堂、三月堂へ行けます。


眼の前の中門はそのままを抜けることは出来ず、東大寺本殿へは左側に迂回して大仏殿へ向かいます。

中門の裏に出ると、大仏殿が目の前に見えます。屋根には金色のツノ?が。シャチホコ?その手前に4.6mの金銅八角燈籠が中央に位置しています。

実物は小中学生時代に校外学習で見たと思うのですがまったく記憶にございません。
以前、京都国立博物館でレプリカを見てからまた実物を見たいとは思っておりましたので感慨深い・・・。



奈良時代に大仏に献灯するために設置されたもので、その後『大仏』や『大仏殿』は幾度かの火災にあっていますが、この燈籠だけは創建当時のものが残っているとのこと。 透かし彫りや経文を彫りつけるなど、細かな細工が今も健在で当時は金色に輝いていたのでしょうね。
そして大仏殿へ

足を踏み入れると大勢の観光客が居るにも関わらず熱気が一気になくなり、空気がひんやりとしました。見上げると大仏様が両手で慈悲の心を表す印相で瞑想をしているかのような半眼で蓮華座に座していました。


正式には『盧舎那仏(るしゃなぶつ)』と言い、その意味は、知慧と慈悲の光明を遍く照し出されている仏ということなのだそう。
その圧倒的な巨大さに思わず手を合わせます。
大仏殿には盧舎那仏以外にも様々な仏像が安置されています。

盧舎那仏の左側には虚空蔵菩薩。虚空蔵菩薩は知恵と記憶力、福徳を持つ菩薩さまです。受験生や記憶力を高めたい人に信仰されています。

右側には如意輪観音。如意輪観音は手に持つ「如意宝珠(願いを全て叶える珠)」と「法輪(仏の教えを広める車輪)」の力で、私たちの煩悩を打ち砕き、あらゆる願いを叶えて救ってくれる観音さまです。

本殿入口の左隅、北西の角を守る広目天。広目天は世界の四方を守る「四天王」のひとり。西方を守護し、その名の通り「広い視野で世界を観察し、悪を捉えて人々を導く」神さまです。

本殿奥の右隅、北東の角を守る多聞天。多聞天は『毘沙門天』の方が呼び名が浸透しています。四天王のリーダー格で、北方を守護します。「仏の教えを多く聞く(多聞)」ことからその名があり、福徳や財宝、戦勝をもたらす神さまとして信仰されています。


創建当時は増長天と持国天が残った四隅に立ち、四方を守護する形で壮観な堂内でありましたが、江戸時代の大仏殿再興時に2体の全身像は完成したものの、増長天と持国天は資金難で身体が完成されなかったようです。

東大寺大仏殿の屋根にある金のシャチホコみたいなのは「鴟尾(しび)」と言うそうで、魚が水面から尾を飛び出させた姿をしています。屋根の上を「水面」に見立て、その下(水面下)にある木造建築を「水に浸かっている状態」とすることで、火災から守るという「火除け」の強い願いが込められています。

お堂の外には、赤い出で立ちの『賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)』がポツンと鎮座していました。びんずるさんと親しまれるこの仏様は正式名を『賓頭盧頗羅堕(びんずるはらだ)』と言います。
はらださんは昔、非常に強い神通力(超能力のようなもの)を持っていたのですが、その力を人前で面白半分に見せびらかしたため、お釈迦さまから「軽々しく力を使うな。そんな者はまだ本堂(お堂の中)に入ってはいけない!」と叱られてしまいました。また、はらださんは大層な酒好きで、ある日ちょっと一杯のつもりがどんどんと酒が進んでしまい酔いも酔ったり、気付けば全身真っ赤か。
これもお釈迦様にすぐに知られることとなり、以後は本堂へ入ることさえ許されませんでした。
お釈迦さまは、はらださんに「お前は涅槃に入ることはせず人々の病を治して救い続けよ!」と命じます。
なので、今もはらださんは本堂の外で人々の病を治し救済を続けているといいます。
ちょっとおっちょこちょいなはらださん・・・笑

しかしその後は改心して、修行により煩悩を払いエネルギ−が満ち溢れている姿を表しているのが、赤い色の理由です。決して今も酔っているからではありませんのでお間違いなく・・・。
本堂を後にして、幾度もの戦火を乗り越え、江戸の再建を経て今なおここに在り続ける大仏様と、周囲を固める菩薩や四天王の姿。そして外の軒下で静かに佇む賓頭盧尊者。一つひとつの造形に宿る先人たちの祈りの深さに触れて、短くも心が洗われるような時間を過ごせました。

《タカダ》
バスで近鉄奈良駅へ。そこから東大寺南大門まで歩いていきます。



駅を出て歩くとすぐに鹿と外国人観光客に出くわします。鹿は堂々としたもので、観光客に混じって普通に歩いています。奈良公園周辺に行かれたことがない方、初めて行く方はここでちょいびっくりします^^
まあまあ巨大な動物がウロウロしてますからね。それと足元に注意ですね(チョコボール対策)。
で、園内や東大寺周辺にて感じたことなんですが、鹿せんべいをあげている観光客はあれど、鹿を必要以上に触ったり、わしゃわしゃ撫でている観光客は見ませんでしたね。あれなんでですかね?なんか普通は撫でたり触ったりしそうなものなんですが、事前に触らないようにガイドさんとかに諸注意とかで言われているのかな?

しかし、暑い。13時を回ったところで気温は30℃を超えてました。奈良国立博物館の人工池で鹿も水浴びしていました。そら鹿も暑いわな。

お土産やさんが立ち並ぶ参道から南門まではかなり人がごった返しておりました。
校外学習か修学旅行の中学生の団体も合流してなかなか賑やかでした^^

東大寺南大門
南大門に掲げられている大華厳寺(だいけごんじ)は華厳宗の大本山「東大寺」の正式名称です。

高さが約25メートル(ビル8階分ほど)もあり、国内最大の山門です。一見すると「2階建て」のように見えますが、門の下に入って上を見上げると、天井がなく屋根の裏側まで一気に吹き抜けている構造になっています。

これは鎌倉時代に中国(宋)の最新技術を取り入れて再建された「大仏様(だいぶつよう)」という非常に骨太で合理的な建築スタイルです。
そして、山門の左右にはおなじみの巨大な金剛力士像(仁王像)が睨みを効かせています。

2体の仁王像は教科書でも有名な運慶や快慶らの仏師グループによって造られました。
一般的に門の向かって右側に口を開けた「阿形(あぎょう)」、左側に口を閉じた「吽形(うんぎょう)」が置かれますが、東大寺南大門ではこれが逆になっています。


なぜ逆なのかは謎なのだそう。そして驚くのは8.4メートルもあるこの巨大な像2体を、彼らはわずか69日間で完成させたと言われています。あらかじめパーツごとに分担して彫り、現地で一気に組み立てるという、現代のプラモデルやプレハブ工法のような超効率的なチームワークで行われました。
数十年ぶりに目にしましたがやはりその大きさに圧倒されます。
南大門を抜けて、すぐ左に東大寺ミュージアムがあります。

鏡池から右手に進むと二月堂、三月堂へ行けます。


眼の前の中門はそのままを抜けることは出来ず、東大寺本殿へは左側に迂回して大仏殿へ向かいます。

中門の裏に出ると、大仏殿が目の前に見えます。屋根には金色のツノ?が。シャチホコ?その手前に4.6mの金銅八角燈籠が中央に位置しています。

実物は小中学生時代に校外学習で見たと思うのですがまったく記憶にございません。
以前、京都国立博物館でレプリカを見てからまた実物を見たいとは思っておりましたので感慨深い・・・。



奈良時代に大仏に献灯するために設置されたもので、その後『大仏』や『大仏殿』は幾度かの火災にあっていますが、この燈籠だけは創建当時のものが残っているとのこと。 透かし彫りや経文を彫りつけるなど、細かな細工が今も健在で当時は金色に輝いていたのでしょうね。
そして大仏殿へ

足を踏み入れると大勢の観光客が居るにも関わらず熱気が一気になくなり、空気がひんやりとしました。見上げると大仏様が両手で慈悲の心を表す印相で瞑想をしているかのような半眼で蓮華座に座していました。


正式には『盧舎那仏(るしゃなぶつ)』と言い、その意味は、知慧と慈悲の光明を遍く照し出されている仏ということなのだそう。
その圧倒的な巨大さに思わず手を合わせます。
大仏殿には盧舎那仏以外にも様々な仏像が安置されています。

盧舎那仏の左側には虚空蔵菩薩。虚空蔵菩薩は知恵と記憶力、福徳を持つ菩薩さまです。受験生や記憶力を高めたい人に信仰されています。

右側には如意輪観音。如意輪観音は手に持つ「如意宝珠(願いを全て叶える珠)」と「法輪(仏の教えを広める車輪)」の力で、私たちの煩悩を打ち砕き、あらゆる願いを叶えて救ってくれる観音さまです。

本殿入口の左隅、北西の角を守る広目天。広目天は世界の四方を守る「四天王」のひとり。西方を守護し、その名の通り「広い視野で世界を観察し、悪を捉えて人々を導く」神さまです。

本殿奥の右隅、北東の角を守る多聞天。多聞天は『毘沙門天』の方が呼び名が浸透しています。四天王のリーダー格で、北方を守護します。「仏の教えを多く聞く(多聞)」ことからその名があり、福徳や財宝、戦勝をもたらす神さまとして信仰されています。


創建当時は増長天と持国天が残った四隅に立ち、四方を守護する形で壮観な堂内でありましたが、江戸時代の大仏殿再興時に2体の全身像は完成したものの、増長天と持国天は資金難で身体が完成されなかったようです。

東大寺大仏殿の屋根にある金のシャチホコみたいなのは「鴟尾(しび)」と言うそうで、魚が水面から尾を飛び出させた姿をしています。屋根の上を「水面」に見立て、その下(水面下)にある木造建築を「水に浸かっている状態」とすることで、火災から守るという「火除け」の強い願いが込められています。

お堂の外には、赤い出で立ちの『賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)』がポツンと鎮座していました。びんずるさんと親しまれるこの仏様は正式名を『賓頭盧頗羅堕(びんずるはらだ)』と言います。
はらださんは昔、非常に強い神通力(超能力のようなもの)を持っていたのですが、その力を人前で面白半分に見せびらかしたため、お釈迦さまから「軽々しく力を使うな。そんな者はまだ本堂(お堂の中)に入ってはいけない!」と叱られてしまいました。また、はらださんは大層な酒好きで、ある日ちょっと一杯のつもりがどんどんと酒が進んでしまい酔いも酔ったり、気付けば全身真っ赤か。
これもお釈迦様にすぐに知られることとなり、以後は本堂へ入ることさえ許されませんでした。
お釈迦さまは、はらださんに「お前は涅槃に入ることはせず人々の病を治して救い続けよ!」と命じます。
なので、今もはらださんは本堂の外で人々の病を治し救済を続けているといいます。
ちょっとおっちょこちょいなはらださん・・・笑

しかしその後は改心して、修行により煩悩を払いエネルギ−が満ち溢れている姿を表しているのが、赤い色の理由です。決して今も酔っているからではありませんのでお間違いなく・・・。
本堂を後にして、幾度もの戦火を乗り越え、江戸の再建を経て今なおここに在り続ける大仏様と、周囲を固める菩薩や四天王の姿。そして外の軒下で静かに佇む賓頭盧尊者。一つひとつの造形に宿る先人たちの祈りの深さに触れて、短くも心が洗われるような時間を過ごせました。

《タカダ》




































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