紅茶の日~よもやま話~
2023年11月01日
皆さんこんにちは!
今日から11月ですね、気候もだいぶ涼しくなってきました。
今年も残すところあと2ヶ月、何度も言いますがホントに月日の経つのは早いですね(^^;
ところで(ここから話がガラッと変わります笑)皆さんは「珈琲」と「紅茶」どちらを
よく飲まれますか?
私は「珈琲」も「紅茶」もどちらもよく飲みますが、その時の気分によって
選んでるでしょうか。
そういう方も多いかもしれませんね。
ある統計によりますと、約7割が「珈琲」派、約3割が「紅茶」派という結果で、男女共に
「珈琲」派の方が多く、特に男性は7割強となっています。
また、年代があがるにつれて「珈琲」派が増える傾向があり、50代の男女では「珈琲」派が
7~8割となりました。
男性にくらべて女性は「紅茶」派が多く4割弱で、若い年代になるほど増える傾向があります。
特に女性の10~20代では「紅茶」派が最も多く5割を超え、「珈琲」派を上回っています。
「だんぜん紅茶派」も、女性の10~20代に多く見られました。
さて、今日11/1は「紅茶の日」です(^^)
1983年(昭和58年)に「日本紅茶協会」により定められました。
由来は、1791年(寛政3年)11/1に、伊勢の国(現・三重県)出身の船頭「大黒屋光太夫」が
ロシアの女帝「エカテリーナ2世」のお茶会に招かれ、日本人として初めて外国での正式な
茶会で本格的な「紅茶」を飲んだ、という逸話からきています(^^)
「大黒屋光太夫」とは、江戸時代後期の伊勢国奄芸郡白子の港を拠点とした船頭で
天明2年(1782年)、嵐の為江戸へ向かう回船が漂流し、約7ヶ月もの間漂流を続け
アリューシャン列島(当時はロシア領アラスカの一部)のアムチトカ島に漂着しました。
4年程、その地で過ごした後、帰国嘆願の為にロシア帝国の女帝「エカテリーナ2世」に
謁見する為、シベリア本土のカムチャッカ半島へ渡り、彼らの境遇に深く同情した皇帝は
すぐに帰国許可を与え、オホーツク港から帰国の途につく事ができました。
漂流から実に約9年半後の寛政4年(1792年)の事です。
その帰国までの間、ロシアにて様々な招待を受け、当時のロシア文化・社会を体験したり
「エカテリーナ2世」の文化的事業に協力する等、大きな足跡を残す事になるのですが
こうした貢献から、首都ペテルブルクを離れる直前の1791年11/1、「エカテリーナ2世」の
お茶会に招かれ、日本人として初めて本格的な「欧風紅茶」(ティー・ウィズ・ミルク)を
楽しんだといわれています(^^)
「大黒屋光太夫」は、井上靖さんの小説「おろしや国酔夢譚」の主人公としても
知られていますね(^^)
それにしても波瀾万丈の人生です、私がこの境遇ならすぐにリタイアしていたでしょうね(笑)
私ができる事といえば、遠い故郷を思いながら「紅茶」を飲む事ぐらいでしょうか(笑)
という事で美味しい「紅茶」を飲みに行って来ました(^^)・・・
その話は来週のブログに続きます(^^)

《マツウラ》
今日から11月ですね、気候もだいぶ涼しくなってきました。
今年も残すところあと2ヶ月、何度も言いますがホントに月日の経つのは早いですね(^^;
ところで(ここから話がガラッと変わります笑)皆さんは「珈琲」と「紅茶」どちらを
よく飲まれますか?
私は「珈琲」も「紅茶」もどちらもよく飲みますが、その時の気分によって
選んでるでしょうか。
そういう方も多いかもしれませんね。
ある統計によりますと、約7割が「珈琲」派、約3割が「紅茶」派という結果で、男女共に
「珈琲」派の方が多く、特に男性は7割強となっています。
また、年代があがるにつれて「珈琲」派が増える傾向があり、50代の男女では「珈琲」派が
7~8割となりました。
男性にくらべて女性は「紅茶」派が多く4割弱で、若い年代になるほど増える傾向があります。
特に女性の10~20代では「紅茶」派が最も多く5割を超え、「珈琲」派を上回っています。
「だんぜん紅茶派」も、女性の10~20代に多く見られました。
さて、今日11/1は「紅茶の日」です(^^)
1983年(昭和58年)に「日本紅茶協会」により定められました。
由来は、1791年(寛政3年)11/1に、伊勢の国(現・三重県)出身の船頭「大黒屋光太夫」が
ロシアの女帝「エカテリーナ2世」のお茶会に招かれ、日本人として初めて外国での正式な
茶会で本格的な「紅茶」を飲んだ、という逸話からきています(^^)
「大黒屋光太夫」とは、江戸時代後期の伊勢国奄芸郡白子の港を拠点とした船頭で
天明2年(1782年)、嵐の為江戸へ向かう回船が漂流し、約7ヶ月もの間漂流を続け
アリューシャン列島(当時はロシア領アラスカの一部)のアムチトカ島に漂着しました。
4年程、その地で過ごした後、帰国嘆願の為にロシア帝国の女帝「エカテリーナ2世」に
謁見する為、シベリア本土のカムチャッカ半島へ渡り、彼らの境遇に深く同情した皇帝は
すぐに帰国許可を与え、オホーツク港から帰国の途につく事ができました。
漂流から実に約9年半後の寛政4年(1792年)の事です。
その帰国までの間、ロシアにて様々な招待を受け、当時のロシア文化・社会を体験したり
「エカテリーナ2世」の文化的事業に協力する等、大きな足跡を残す事になるのですが
こうした貢献から、首都ペテルブルクを離れる直前の1791年11/1、「エカテリーナ2世」の
お茶会に招かれ、日本人として初めて本格的な「欧風紅茶」(ティー・ウィズ・ミルク)を
楽しんだといわれています(^^)
「大黒屋光太夫」は、井上靖さんの小説「おろしや国酔夢譚」の主人公としても
知られていますね(^^)
それにしても波瀾万丈の人生です、私がこの境遇ならすぐにリタイアしていたでしょうね(笑)
私ができる事といえば、遠い故郷を思いながら「紅茶」を飲む事ぐらいでしょうか(笑)
という事で美味しい「紅茶」を飲みに行って来ました(^^)・・・
その話は来週のブログに続きます(^^)

《マツウラ》
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