方広寺鐘銘事件
2021年08月31日
こんにちは。
ブログをご覧いただきありがとうございます。
今日は8月31日。
8月も最終日です。
およそ400年前の今日8月31日は
方広寺鐘銘事件という事件がありました。
1614年8月31日、豊臣秀頼が再建した京都・方広寺の鐘に徳川家を呪おうとする文字が書かれていると、徳川家康がある種の言いがかりをつけたのです。
問題となったのは、再建された方広寺の鐘に刻まれた文字の一部で、
国家安康
君臣豊楽
と書かれたそれぞれの部分が、「国家・安康・」は「家康」の文字を敢えて切り離して書かれており、呪いを掛けているようなものだというものと、「君臣豊楽」は江戸幕府が開かれた後でも、豊臣が君主として楽しんでいることを暗に意図してるとして、方広寺を再建した豊臣秀頼を攻め立てました。
歴史家によると
豊臣秀頼側に上記意図はなかったし、徳川家康の言い掛かりと見る向きが強く、また当時は徳川家康・徳川秀忠親子は、江戸幕府を開いた後も存在していた豊臣家を滅亡させるべく、口実を探していたとされ、豊臣秀頼はいわば墓穴を掘る格好となってしまいました。
史実として直後に、
徳川家康・秀頼軍 vs 豊臣秀頼軍の戦い
となった大阪の陣が始まることから、方広寺鐘銘事件は、大坂の陣のきっかけとなった事件と見なされています。
以上400年程前の8月31日の出来事でした。
明日から9月です。
まだまだ暑い日が続いていますが皆様暑さ、コロナに負けずお身体ご自愛くださいませ❤️
《いまい》
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今日は8月31日。
8月も最終日です。
およそ400年前の今日8月31日は
方広寺鐘銘事件という事件がありました。
1614年8月31日、豊臣秀頼が再建した京都・方広寺の鐘に徳川家を呪おうとする文字が書かれていると、徳川家康がある種の言いがかりをつけたのです。
問題となったのは、再建された方広寺の鐘に刻まれた文字の一部で、
国家安康
君臣豊楽
と書かれたそれぞれの部分が、「国家・安康・」は「家康」の文字を敢えて切り離して書かれており、呪いを掛けているようなものだというものと、「君臣豊楽」は江戸幕府が開かれた後でも、豊臣が君主として楽しんでいることを暗に意図してるとして、方広寺を再建した豊臣秀頼を攻め立てました。
歴史家によると
豊臣秀頼側に上記意図はなかったし、徳川家康の言い掛かりと見る向きが強く、また当時は徳川家康・徳川秀忠親子は、江戸幕府を開いた後も存在していた豊臣家を滅亡させるべく、口実を探していたとされ、豊臣秀頼はいわば墓穴を掘る格好となってしまいました。
史実として直後に、
徳川家康・秀頼軍 vs 豊臣秀頼軍の戦い
となった大阪の陣が始まることから、方広寺鐘銘事件は、大坂の陣のきっかけとなった事件と見なされています。
以上400年程前の8月31日の出来事でした。
明日から9月です。
まだまだ暑い日が続いていますが皆様暑さ、コロナに負けずお身体ご自愛くださいませ❤️
《いまい》
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