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土管のお話

2016年12月11日

南千里店

昭和30年代のお話です

土管と言ってもご存じない方の方が多いと思います。
粘土で作った円筒形の焼き物です、主に下水管として利用されていました

私の育った場所にはこの土管工場だけで5ヶ所位ありました。

直径10センチと20センチ位で長さ80センチで耳をつけて接合し易く作られています
これらはすべて器械で上に粘土を入れて、この粘土も色々と混ぜて作っていた様に思います
型枠で耳の部分を下に作り出されたものを同じ長さに切断し、天日干しにする。

工場の敷地には天日干しされた土管が整然と並べられていました
働らく人は、なぜか年配の女性が多かったように記憶してます

雨が降ってきたら総出で工場の屋根の下に移動して、晴れたらまた出して
全体にしろっぽくなったら、屋根の下に集められます

次に、大きな容器に釉薬を入れてその中に土管を入れて釉薬をかけて、
また乾燥させます、釉薬は種類を変え二度つけていたように思います。

私の祖父が、この土管を焼いていましたのでここでよく遊びました
登り窯で土管を焼きます

下から上に四つの窯がありレンガ造りで一番下の窯の下に火をつける穴が
4ヶ所ありました、燃料はこの当時、木を燃やしていました。

長さ40センチくらいに切って、10センチくらいに割ってこれを20本位を束にして
針金で縛ります、この束を何個もそれぞれの穴の後方へ設置し
夜どうしでマキをくべる( 入れる )、火の管理が祖父の仕事でした。

登り窯全体をトタン屋根で覆われ雨でも雪でも作業ができます
この作業を見学しこの窯の横の通路にムシロを引いてもらい
一晩過ごした記憶が残っています、雪の降る夜でしたがとても暖かく
想い出深い体験でした。

ただこの頃より、土管に変わってコンクリート製のヒューム管へと変わってゆき
次回は、このヒューム管のお話をしたいと思います。

《フジイ》

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