中之島美術館~拡大するシュルレアリスム 視覚芸術から広告、ファッション、インテリアへ~
2026年02月08日
今日のブログは中之島美術館で開催されている『拡大するシュルレアリスム 視覚芸術から広告、ファッション、インテリアへ』を観覧、そして隣接する大阪市立科学館に行ってきましたので、その感想を。


展示の内容はというと、シュルレアリスムを「絵画の様式」にだけにとどまらず、オブジェ/絵画/写真に加えて、広告・ファッション・インテリアへ“拡大”していった流れ、またブルトンによる定義や、夢・無意識(精神分析)との関係にも触れつつ、日常領域へ広がる力学を全6章で章立てて追っていくという複合的な展示となっております。
展示作品は作品によっては撮影可能でしたので(特にマグリット作品はありがたい^^)、それらも交えてご紹介します。

立体作品もそこそこ展示されていましたが正直興味があまりないので絵画を中心にご紹介したいと思います。
まず「シュルレアリスム」ってなに?な方も多いと思います。なんとなく不思議で変わった絵がシュルレアリスム絵画だなあと感じているかと思います。一般的には視覚的な現象(絵や映像)としてのシュルレアリスムを連想する人が大半ですので、シュルレアリスム創始から現代での影響などを作品を交えながら少し解説など・・・。
シュルレアリスムは1924年、アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』で方向づけた芸術・思想運動です。

第一次世界大戦によって「理性」や「進歩」が必ずしも人間を救わないことが露わになり、既成価値への反発としてダダイズム(既存の伝統的な芸術、権威、理性的な秩序を否定し、無意味、非合理、偶然性を重視)が誕生しました。その流れを受けつつ、ブルトンは破壊だけでは終わらせず、むしろ人間の内側にある無意識や夢、連想の力に新しい創造の源泉を見いだします。理性や道徳の検閲を外し、思考が流れるままに言葉やイメージを生み出す「自動記述(オートマティスム)」はその象徴で、偶然や飛躍を味方にして、現実の奥にある別の現実=“超現実”を掘り当てようとしたのです。
絵画においては、ジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画が先駆的な刺激となり、現実そっくりの景色なのに論理が崩れる不穏さが、後の作家たちの想像力を燃やしました。

《福音書的な静物 I》1916年 ジョルジョ・デ・キリコ
シュルレアリスムの画家たちは一枚岩ではなく、アンドレ・マッソンやジョアン・ミロのように自動性を手がかりに形が湧き出す過程そのものを重視した流れもあれば、無意識の世界や夢のイメージを絵画技術によって視覚化したマックス・エルンスト然り、サルバドール・ダリのように写実的な描写でありえない光景を現実以上の確かさで提示し、観る者の認識を揺さぶる流れ、ルネ・マグリットはさらに、日常的な物や言葉を厳密に配置して「理解の仕組みそのもの」を破綻させることで謎を意図的に設計したり、と個々において多様な表現方法が用いられました。


《絵画》1933年 ジョアン・ミロ 《偶像》1926年 マックス・エルンスト

《ダリの太陽》1965年 サルバドール・ダリ


《レディ・メイドの花束》1957年 ルネ・マグリット 《王様の美術館》1966年 ルネ・マグリット
しかし彼らが共通して狙ったのは、奇抜さの披露ではなく、私たちが当たり前だと思い込んでいる世界の枠組みをずらし、そこに潜む欲望や恐怖、矛盾を可視化することでした。実際に作品を目の当たりにすると、何故か心の奥底がざわつく感じがします。物や風景は一つ一つ“現実的に”描かれているのに、それらの関係だけが常識から外れている。そのため、部分の理解はできても全体の意味づけが成立せず、見る側の思考が宙吊りになって不穏さが残る。
この運動は美術館の中に留まらず、写真、映画、舞台、デザインへと拡張し、やがて広告やファッション、インテリアといった日常領域にも入り込んでいきます。


今や「シュール」という言葉は、奇妙で説明しにくい面白さを指す日常語になっています。SNSのミーム、MVやCMの飛躍したイメージ、ゲームの世界観、ファッションの引用と再編集――これらはしばしば、シュルレアリスムが発明した“連想の編集”で動いています。デジタル編集は、コラージュやデカルコマニーを高速化し、AI生成は「作者の統制を外す」という古い夢を別の形で実装しつつあります。もっとも、無意識を刺激する手法がマーケティングに吸収されると、解放は快楽の消費へ変質しやすいのも事実です。だからこそ私たち現代の鑑賞者は、単に「変で面白い」に留まらず、「この違和感は何を暴くのか」「誰の欲望を動かすのか」と問い返す必要があると思うんです。

《誕生の球体》 1939年 ヴィクトル・ブローネル
シュルレアリスムは、現実逃避の夢想ではなく、現実が見せないものを可視化するための方法論です。ブルトンが掲げた“検閲を外す勇気”は、いまも私たちが無自覚に従っている常識や言語の枠を揺らし、世界を別の角度から見せてくれます。
展覧会を見終えたあと、街の広告、ショーウィンドウ、部屋の小物にふと感じる違和感――それこそが、シュルレアリスムが現代まで生き延びている証拠なのだと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2時間ほど鑑賞した後、昼食を済ませて今度は道路を隔てた隣の大阪市立科学館へ向かいます。

2024年8月、関西万博の開催に先立って大阪市立科学館はリニューアルオープンされました。
私は2022年9月に行ったきり訪れていなかったので楽しみです。
4階から順に下層フロアへ降りていく順番となります。海遊館と同じ見学方式です。
宇宙・気象・地球の「なぜなに」が学べて、大人も子供も楽しく知見を得ることが出来ます。



日常の不思議が身を持って知ることが出来る体験型コーナーも充実しており、私が行った日も小学生が校外学習か社会見学として団体で来ていました。
宇宙の大きさ、星々の相関図など立体模型を使ったりして視覚的に分かりやすく、また実際に触って確かめられるようになっており、ただ文章を読むだけではなく興味を引く展示が無数にあります。
周期表の元素が実際に何に使われているかを視覚的に展示されていたり、様々な金属がどのような工業製品に生まれ変わるのか、とか・・・



物理・化学・生物・地学が楽しく学べます。
中には専門的な知識が必要になる展示もありますが、総じて一般人が理解できるようになっています。

大阪の都市文化や科学の歴史も学べます。
そして、スタッフさんが実演してくれるサイエンスショーも開催されています。
私が訪れた時は「偏光版」の不思議を実演されていました。

偏光は実際にメガネレンズで取り扱っておりますので仕組みや特性は理解しているつもりでしたが、実演ではなかなかに面白い内容とトーク力で、思わず引き込まれました。その時の実演内容を、南千里店内でも偏光レンズを使って試したい展示物を考えましたので、またの機会にご紹介させていただきます^^めちゃ面白くて「えー!?」と思っていただけること間違いなしです。特にお子様大喜びかも・・・
行ったことのない方は、一度は絶対入った方がいいですよ!
特に家族連れには超オススメです^_^

《タカダ》


展示の内容はというと、シュルレアリスムを「絵画の様式」にだけにとどまらず、オブジェ/絵画/写真に加えて、広告・ファッション・インテリアへ“拡大”していった流れ、またブルトンによる定義や、夢・無意識(精神分析)との関係にも触れつつ、日常領域へ広がる力学を全6章で章立てて追っていくという複合的な展示となっております。
展示作品は作品によっては撮影可能でしたので(特にマグリット作品はありがたい^^)、それらも交えてご紹介します。

立体作品もそこそこ展示されていましたが正直興味があまりないので絵画を中心にご紹介したいと思います。
まず「シュルレアリスム」ってなに?な方も多いと思います。なんとなく不思議で変わった絵がシュルレアリスム絵画だなあと感じているかと思います。一般的には視覚的な現象(絵や映像)としてのシュルレアリスムを連想する人が大半ですので、シュルレアリスム創始から現代での影響などを作品を交えながら少し解説など・・・。
シュルレアリスムは1924年、アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』で方向づけた芸術・思想運動です。

第一次世界大戦によって「理性」や「進歩」が必ずしも人間を救わないことが露わになり、既成価値への反発としてダダイズム(既存の伝統的な芸術、権威、理性的な秩序を否定し、無意味、非合理、偶然性を重視)が誕生しました。その流れを受けつつ、ブルトンは破壊だけでは終わらせず、むしろ人間の内側にある無意識や夢、連想の力に新しい創造の源泉を見いだします。理性や道徳の検閲を外し、思考が流れるままに言葉やイメージを生み出す「自動記述(オートマティスム)」はその象徴で、偶然や飛躍を味方にして、現実の奥にある別の現実=“超現実”を掘り当てようとしたのです。
絵画においては、ジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画が先駆的な刺激となり、現実そっくりの景色なのに論理が崩れる不穏さが、後の作家たちの想像力を燃やしました。

《福音書的な静物 I》1916年 ジョルジョ・デ・キリコ
シュルレアリスムの画家たちは一枚岩ではなく、アンドレ・マッソンやジョアン・ミロのように自動性を手がかりに形が湧き出す過程そのものを重視した流れもあれば、無意識の世界や夢のイメージを絵画技術によって視覚化したマックス・エルンスト然り、サルバドール・ダリのように写実的な描写でありえない光景を現実以上の確かさで提示し、観る者の認識を揺さぶる流れ、ルネ・マグリットはさらに、日常的な物や言葉を厳密に配置して「理解の仕組みそのもの」を破綻させることで謎を意図的に設計したり、と個々において多様な表現方法が用いられました。


《絵画》1933年 ジョアン・ミロ 《偶像》1926年 マックス・エルンスト

《ダリの太陽》1965年 サルバドール・ダリ


《レディ・メイドの花束》1957年 ルネ・マグリット 《王様の美術館》1966年 ルネ・マグリット
しかし彼らが共通して狙ったのは、奇抜さの披露ではなく、私たちが当たり前だと思い込んでいる世界の枠組みをずらし、そこに潜む欲望や恐怖、矛盾を可視化することでした。実際に作品を目の当たりにすると、何故か心の奥底がざわつく感じがします。物や風景は一つ一つ“現実的に”描かれているのに、それらの関係だけが常識から外れている。そのため、部分の理解はできても全体の意味づけが成立せず、見る側の思考が宙吊りになって不穏さが残る。
この運動は美術館の中に留まらず、写真、映画、舞台、デザインへと拡張し、やがて広告やファッション、インテリアといった日常領域にも入り込んでいきます。


今や「シュール」という言葉は、奇妙で説明しにくい面白さを指す日常語になっています。SNSのミーム、MVやCMの飛躍したイメージ、ゲームの世界観、ファッションの引用と再編集――これらはしばしば、シュルレアリスムが発明した“連想の編集”で動いています。デジタル編集は、コラージュやデカルコマニーを高速化し、AI生成は「作者の統制を外す」という古い夢を別の形で実装しつつあります。もっとも、無意識を刺激する手法がマーケティングに吸収されると、解放は快楽の消費へ変質しやすいのも事実です。だからこそ私たち現代の鑑賞者は、単に「変で面白い」に留まらず、「この違和感は何を暴くのか」「誰の欲望を動かすのか」と問い返す必要があると思うんです。

《誕生の球体》 1939年 ヴィクトル・ブローネル
シュルレアリスムは、現実逃避の夢想ではなく、現実が見せないものを可視化するための方法論です。ブルトンが掲げた“検閲を外す勇気”は、いまも私たちが無自覚に従っている常識や言語の枠を揺らし、世界を別の角度から見せてくれます。
展覧会を見終えたあと、街の広告、ショーウィンドウ、部屋の小物にふと感じる違和感――それこそが、シュルレアリスムが現代まで生き延びている証拠なのだと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2時間ほど鑑賞した後、昼食を済ませて今度は道路を隔てた隣の大阪市立科学館へ向かいます。

2024年8月、関西万博の開催に先立って大阪市立科学館はリニューアルオープンされました。
私は2022年9月に行ったきり訪れていなかったので楽しみです。
4階から順に下層フロアへ降りていく順番となります。海遊館と同じ見学方式です。
宇宙・気象・地球の「なぜなに」が学べて、大人も子供も楽しく知見を得ることが出来ます。



日常の不思議が身を持って知ることが出来る体験型コーナーも充実しており、私が行った日も小学生が校外学習か社会見学として団体で来ていました。
宇宙の大きさ、星々の相関図など立体模型を使ったりして視覚的に分かりやすく、また実際に触って確かめられるようになっており、ただ文章を読むだけではなく興味を引く展示が無数にあります。
周期表の元素が実際に何に使われているかを視覚的に展示されていたり、様々な金属がどのような工業製品に生まれ変わるのか、とか・・・



物理・化学・生物・地学が楽しく学べます。
中には専門的な知識が必要になる展示もありますが、総じて一般人が理解できるようになっています。

大阪の都市文化や科学の歴史も学べます。
そして、スタッフさんが実演してくれるサイエンスショーも開催されています。
私が訪れた時は「偏光版」の不思議を実演されていました。

偏光は実際にメガネレンズで取り扱っておりますので仕組みや特性は理解しているつもりでしたが、実演ではなかなかに面白い内容とトーク力で、思わず引き込まれました。その時の実演内容を、南千里店内でも偏光レンズを使って試したい展示物を考えましたので、またの機会にご紹介させていただきます^^めちゃ面白くて「えー!?」と思っていただけること間違いなしです。特にお子様大喜びかも・・・
行ったことのない方は、一度は絶対入った方がいいですよ!
特に家族連れには超オススメです^_^

《タカダ》



























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