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千里キャンドルロードが本日に順延になりました。

2024年11月04日

南千里店

いつもメガネのセンリ・ブログをご覧いただきありがとうございます。

11月2日に予定でした《千里キャンドルロード》ですが
元・台風21号の影響で荒天でしたので、本日11月4日開催となりました。

千里キャンドルロード公式HP

午後4時過ぎからキャンドルに日を灯すボランティアも募集されていますので
お時間のある方は見るだけでなく、どうぞご参加になって下さい!





竜王戦七番勝負第3局

2024年11月03日

南千里店

竜王戦七番勝負第3局が10月25、26日(金・土)に京都府京都市「総本山仁和寺」で行われました。

第2局は挑戦者・佐々木勇気八段の鮮やかな指し回しで快勝。
勝敗を五分に戻して仕切り直しの本局。

舞台は仁和寺。仁和寺は『にんなじ』と読みます。
真言宗御室派の総本山で古都京都の構成遺産としてユネスコ世界遺産に登録されています。

さて、藤井聡太竜王はこの仁和寺で過去3度タイトル戦を戦っていますが、3戦3勝の無敗。仁和寺決戦では滅法強い藤井竜王から仁和寺で土をつけ、更に勝ち星でも先行できるのか、佐々木八段の戦いぶりも見ものであります。

藤井竜王が再び先手となった本局は2手目にさっそく佐々木八段が変化球の3四歩。そして9四歩、9五歩と端歩を突き越す。
前例が極めて少ない。そして角を交換した。
これは・・・角交換振り飛車!?
居飛車党の佐々木八段が飛車を振るのは珍しい。しかもダイレクト向かい飛車。素早く片美濃に囲って相手の隙を狙います。
しかし盤の向こうの相手は百戦錬磨の藤井竜王。付け入る隙があるかどうか・・・。

駒組みも終え、手に入れた角もお互い早々に盤に戻すと、開戦の合図とばかりに9六歩と駒をぶつけた藤井竜王の手に長考する佐々木八段。そしてそのまま封じ手となりました。

2日目。佐々木八段の封じ手は下手な小細工などせず堂々と受けて立つ9六同歩。

2日目中盤は捻り合いの様相となって、しかし模様は後手が良さそうに思えるのだが・・・。

勝負の天秤が傾いたのは、5四歩とぶつけられた歩を放置して先手陣に強くプレッシャーを掛けた佐々木八段の一手でした。

8六に攻防の桂を放つが藤井竜王は金取りを放置して更に踏み込んでいく。
何とか藤井玉に迫ろうと攻撃を仕掛けるが、絶妙にその攻めをかわしていく藤井竜王。

1時間弱の長考。震える手で銀を上る佐々木八段の攻めが途切れたのが合図と言わんばかりに藤井竜王の終盤の正確な寄せが始まる。なんとか藤井玉に迫ろうとするが竜王の寄せが早い。電光石火の7二角成を見て佐々木八段が投了。99手で藤井竜王が勝利し勝ち星を先行させた。

結果は後手の負けではあるが、かなり押していた時間が長かったように感じた。先手の藤井竜王にここまでやれるのであれば、佐々木八段にも今後まだまだ挽回するチャンスはあるように思える、そんな一局でした。
悔しさの表れなのか、投了の意思を示めすと即感想戦に入る佐々木八段。
この悔しさを次の先手番で晴らせることが出来るのか。

次回は大阪・茨木市での対局となります。

《タカダ》

いざいざ奈良〜完結編。

2024年11月02日

千里中央店

こんにちは。


先週のブログ『いざいざ奈良。』からの続きでございます。

腹ごしらえをすませ、向かうは奈良公園。
東大寺付近になると鹿の数が一気に増えて、獣の匂いが辺りに漂っています。また平日でしたが外国人観光客や修学旅行生も多くとても賑わっています。



盧舎那仏(奈良の大仏さん)を目指して歩をすすめると最初に見えてくるのは『南大門』です。高さは約26m、幅は約29mと圧倒的な存在感で僕を迎えてくれます。



『東大寺南大門』といえば、国宝『金剛力士像』です。

金剛力士像は寺院の門などに安置されることが多く、仏法を守る神のことを言います。さまざまな敵が来たときに、それらから寺院を守る役割があります。
正面向かって左手に『阿形(あぎょう)』、右手に『吽形(うんぎょう)』、通常とは左右反対に、しかも互いに向き合うように配置されているのが特徴です。



2体の『金剛力士像』はどちらも、筋骨隆々。目を見開いて相手をにらみつけている様は、迫力満点です。しかも腕や脚の筋肉の筋や血管など細部まで表現しているところは、とても木彫の像とは思えません。相手を威嚇する勇ましい姿は、建設から何百年の時を経た今もなお人々を圧倒する力があります。



ちなみに、ヒノキで造られた木彫の像で高さ8.4m、木彫像としては日本最大です。現存の『金剛力士像』は鎌倉時代の有名な仏師運慶・快慶によって1203年に造られたもので、1988〜1993年に掛けて修理され現在に至っています。


また、二人の息がピッタリ合ってる時に使われる「阿吽(あうん)の呼吸」という言葉は、『金剛力士像』の阿形像と吽形像が起源となっていると言われています。

元々「阿吽の呼吸」という言葉は当初、息を吐く時に口が「阿(あ)」と言っている形になっていて、息を吸って口を閉じる時に口が「吽(うん)」と言っている形になっていることをから、息を吸って吐くことという意味で使われていました。

それが現在使われているような意味で使われるようになったのは、実際に、お互い息を吸って吐く呼吸をあわせてタイミングをはかることが少なくないことからのようです。例えば相撲の立ち会いでは、二人の力士が息を吐いた後、息を吸った状態で止めて、タイミングをあわせているそうです。

確かに『阿形』は「あ」言うて口開いてるし、『吽形』は「うん」言うて口閉じてるわ。お互いに向き合って呼吸を合わせて阿吽の呼吸で東大寺を守ってるんやな…実に面白い。



『南大門』を通り抜け、目指すは『東大寺大仏殿』



中門左手にある大仏殿入堂口で入場券を購入します。



見えてきました。大仏殿。





さあ!ついにご対面!



会いたかったぜ!…にしてもやっぱり大きい。



銅台座(約3m)も含めると、高さ18.03mあります。
鎌倉の大仏さんが13.35mだからその大きさたるや。

724年に即位した聖武天皇が、災害や政変、反乱などが相次ぐ当時の社会不安を、仏法の力によって解消しようと大仏造立を発願。 東大寺の本尊として世界最大の金銅仏、『盧舎那仏(るしゃなぶつ)』の造営が始まり、752年に開眼法会が盛大に行われました。大仏さまと大仏殿の造立には当時人口の約半分、のべ260万人もの人々が協力したそうです。凄くないですか?
(尚、現在のお姿は、地震や焼失などを経て1692年に再建・開眼供養されたもの)

時計回りに大仏さんの周りを一周し、いろんな角度からの大仏さんのお姿を拝見しました。





間には『虚空蔵菩薩』のお姿や。



もちろんお約束の柱の潜り抜けをするお子さんの姿も。






『大仏殿』を出て東に行くと『二月堂』へ。










そして若草山へ。

久しぶりに訪れた若草山は囲いが出来ていて、入るには150円が必要となっていました^_^;



思ってたより斜面の傾斜が急で登るのにも一苦労。ここまで結構歩いてきたんで足元フラフラしております(笑)。
腰を下そうと思うも至る所に鹿のフン(笑)



…なんとかフンの無い場所を見つけて腰を下ろし手前の自販機で買っておいた缶コーヒーを取り出し暫しリラックスタイム。



目の前に広がる景色、心地良い風、子供たちの楽しそうな声。
この日は曇り空でしたがとても気持ちの良い時間となりました。



ちなみに今こんな感じの注意喚起があり斜面を滑ることは禁止されています。中1の遠足の時は飽きずにダンボールで何回滑ったことか。「中学生か?!」ってツッコミそのままに(笑)。




『春日大社』も訪れましたが時間の都合で参拝はせず、JR奈良駅へと向かいます。



その途中、臼と杵を使った餅つきパフォーマンスで有名な餅屋『中谷堂』発見。外国人観光客が列を作っています。残念ながら例のパフォーマンスは見れませんでしたが…



帰りの電車の中でヘルスケアアプリで今日歩いた歩数をチェックするとなんと25,000歩。普段仕事の時は4,000歩なんで6倍以上。さすがに電車に揺られてウツラウツラしてました(-_-)zzz


奈良を観光で訪れるのは久しぶりでしたが、ホントに良いところ。自然や鹿、そして多くの国宝や重要文化財に触れて、良い一日となりました。また来たいと思います!!




《ウエノ》

リンドバーグ。

2024年11月01日

千里中央店


今年も残すところ後2か月。
年の終わりが近づいております。

てな感じでこんにちは。

ブランドのご紹介です。

LINDBERG

基本性能を徹底的に追求したメガネ、それがリンドバーグ。
その機能がカタチになった時、シンプルな美しさが生まれました。
軽く、快適、かつ美しい。メガネのひとつの到達点がここにあります。


1本のネジも使用しない独特なパーツの組み合わせにより極限までシンプルな構造に仕上がり、素材には医療用に使用される高品質のチタンを使用。
驚くほど軽く、柔軟性があり壊れにくくなっております。
鼻パットにも医療用シリコンが採用された非アレルギーという特徴に加え、
フィット感がいいんです。




お好みのパーツやカラーの組み合わせで、
あなただけのメガネをデンマークから約2~3週間でお届けいたします。



いつもメガネのセンリのブログを
ご覧いただきありがとうございます。

 《ヤマモト》

クロード・モネと白内障

2024年10月31日

メガネのセンリ

いつもメガネのセンリ・ブログをご覧いただきありがとうございます。

オスカー・クロード・モネ(1840-1926)をご存じですか?
モネと言えば「睡蓮」、美術の教科書にも載っていた画家ですね。
有名な画家、印象派など思い浮かぶ方もいらっしゃるのではないでしょうか?

実はモネ氏も白内障になっていたそうです。
モネ氏の作品を発表順に見ると、人の加齢がモノの見え方にどのような
影響を及ぼすかがわかるようなのです。



たとえば

【「睡蓮の池」日本の橋】という同じ構図の絵を、

左側:59歳の時に写生したものと
右側:78~82歳の時に写生したものとでは
白内障発症前と発症後になり、だいぶ違っています。

白内障発症後の絵は対象の橋の輪郭もはっきりとせず、色も黄色やオレンジで塗られています。
どうしてかといいますと、歳をとってから水晶体がにごる(=白内障になる)と、
黄色く濁り、外界が黄色っぽく見えるようになるからのようです。
白内障の影響がでているようなのです。

モネ氏は、絵画や写生に白内障の影響が出ていたにもかかわらず、手術を拒み続けたそうです。
その結果、82歳の時に、右目はほとんど見えなくなり、左目の視力もわずかになってしまいました。

そのころのモネ氏は
「ベートーベンが耳が聞こえないのに音楽を作曲したように、私は見えないのに絵を描く」
と言っていたようです。

この頃のモネ氏は絵に青系の色をあまり使いませんでした
なぜなら、濁った水晶体が青・紫の色などを通さなくなり、
青系の色と黒の区別がつかなくなったと考えられているようです。

ついに1922年、当時のフランス首相クレマンソー(1841~1929)のすすめによって、
モネ氏は、右目の白内障手術を受けることになります。

手術後に彼は「左の白内障眼で見ると、すべてが黄色に見えるのに、手術した右目で見ると
すべてが青っぽく見える」といったそうです。

白内障は、見えづらくなる、まぶしく感じるようになるということ以外に
色の見え方にも影響を及ぼしてしまうようです。

現代の日本では、白内障は適切に対応すれば決して怖い病気ではなくなっています。
更には、白内障手術の際に目の中に挿入する眼内レンズも精度が上がり術後の負担も減っています。



現在、東京ですが国立西洋美術館にて《モネ 睡蓮のとき》が展示中です。
機会があれば白内障の事も考えながら展示をご覧になってください。

モネ展公式HP

白内障って何?と分かりにくければメガネのセンリスタッフは
全員、眼鏡作製技能士技能士ですので分かりやすく解説します。
どうぞご相談くださいませ。


《なかお》

メガネのことでお悩みですか?

当店、メガネのセンリには国家検定資格である「眼鏡作製技能士」が在籍しております。 国内唯一のめがねの国家検定資格を持つエキスパートが、 お客様一人ひとりに最適な提案・販売・ケアを行っており、 あなたの目の健康をサポートいたします。

メガネに関するお悩みやご相談がございましたら、 ぜひメガネのセンリにご来店ください。 下記の店舗にて、心よりお待ちしております。

【千里中央店】

住所: 大阪府豊中市新千里東町1-3 せんちゅうパル 2階
TEL/FAX: 06-6832-9520
営業時間: AM10:00~PM7:00
定休日: 無休

【南千里店】

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