高野山 Part2
2016年07月22日
さて、前回の続き・・・いよいよ「総本山・金剛峯寺」に拝観です。
現在の『金剛峯寺』は一つの独立した形をなし座主の住寺であるが、
高野山全体を総轄する伝統はそのままここに残され、
また、高野山真言宗の総本山として一切の宗務を司る宗務所があって、
全国及び海外の末寺4,000ヵ寺の行政を統べ、壱千万大師信徒の
中心となっている・・・との、パンフレットの説明ですが
難しい言葉ばかりなので???、私にはよう分からんです。
要するに、”高野山の全ての中心” や、いうことでしょうか???
高野山は「一斬境内地」と称し、高野山全体が総本山金剛峯寺、
全域がお寺だそうです。
まずは「正門」、
写真の提灯を見てもわかるように「金剛峯寺」には寺紋が2つあり、
左が豊臣秀吉拝領の清巌寺の寺紋「五三の桐」
右が高野山の鎮守・丹生都比売神社の寺紋「三頭右巴」です。
通常は一つの寺紋なのに、2つの寺紋が一緒に見られるこの正門は
「金剛峯寺」の建物の中で一番古いものだそうです。
次に「玄関」、
正面の大玄関は天皇・皇族や高野山重職だけが出入り出来、
小玄関は上綱職の僧侶が出入りし、一般の僧侶は昔は裏口より
出入りしましたが、今は一般参詣入口を利用しているそうです。
高野山では門の出入り一つでも、厳しいルールが存在していたようです。
「金剛峯寺」の屋根の上には天水桶が置かれています。
これも予めテレビ情報で知っていたのでそこに目が行きましたが、
ボンヤリしてると、そんなこと気付きませんよねぇ~~
普段から雨水を溜めておいて、いざ!火災が発生した時には
火の粉が飛んで屋根が燃え上がらないように桶の水をまいて
湿らすという役割があったようです。合理的な考え方ですよねぇ!!
高野山はそれほど火災による被害を受けて来たようです。
「大広間」:大広間は重要な儀式・法要が執り行われるところ。
「持仏間」:皆様のご家庭の仏間にあたいするところ。
ご本尊に弘法大師を奉安し、両側には歴代天皇御尊儀のお位牌や
歴代座主のお位牌をおまつりしています。
「梅の間」「柳の間」「別殿」「新別殿」・・・などなど、
名人の描いた襖絵をゆっくりと、堪能しながら各部屋を廻り見る!!!
「新別殿」では一般参詣の私たちも、お茶とお菓子のお接待を受けました。
「蟠龍庭」:2,340平方メートルの石庭は国内最大級!!!
雲海の中で向かって左に雄、右に雌の一対の龍が向かい合い
奥殿を守っているように表現されているそうです。
龍を表す石はお大師さま生誕の地である四国の花崗岩、
雲海を表す白川砂は京都のものが使われているそうです。
曹洞宗の総本山、福井県の「永平寺」にも行かせていただいたのですが
厳かな雰囲気は優とも劣らず・・・心洗われる想いでいっぱいになりました。
最後に高野山奥の院「弘法大師御廟」へ・・・・
高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまがご入定されている”聖地”です。
正式に「一の橋」から参拝いたしました。
約2キロメートルの道のりを、聖地の名にふさわしい空気感を感じながら、
およそ20万基を超える諸大名の墓石や、記念碑、慰霊碑の数々の中を
樹齢千年に及ぶ杉木立の中を粛々と歩きました。
途中でこんな光景に出会いました。・・・さすが密教の修験場ですね・・・
それにしても戦国時代や江戸時代のあらゆる武将の名前の墓標が・・・
徳川家一族を筆頭に・豊臣家・上杉謙信・武田信玄・伊達政宗・石田三成・
明智光秀・織田信長・大岡越前守・加賀前田・浅野内匠頭・・・などなど、
皆さんご存知の名前ばかり・・・1つ1つ見てたら限がありません。
でも、霊気漂う場所・・なんか背筋の辺りに寒気を感じたパワースポット、
いつもより、ちょっと早足で通りすぎようとしてしまいました~~~
奥の院は、死後魂がやってくる「他界」と信じられていて
戦国大名たちも、弘法大師の側で眠りたいと願ったんでしょうね。
弘法大師は、御廟で今も生きて瞑想を続けているとされ、
毎日食事が届けられているそうです。
最後に御廟霊前では、妻と2人で家族皆の家内安全・無病息災をお祈りして
本日の高野山詣でを終了しました。
慌ただしく廻りましたが・・・高野山って、こんな世界でした。
ほんの少ししか理解できていないと思いますが、
人生におけるたった一度の貴重な体験をさせていただきました!!!!
《タケナカ》
現在の『金剛峯寺』は一つの独立した形をなし座主の住寺であるが、
高野山全体を総轄する伝統はそのままここに残され、
また、高野山真言宗の総本山として一切の宗務を司る宗務所があって、
全国及び海外の末寺4,000ヵ寺の行政を統べ、壱千万大師信徒の
中心となっている・・・との、パンフレットの説明ですが
難しい言葉ばかりなので???、私にはよう分からんです。
要するに、”高野山の全ての中心” や、いうことでしょうか???
高野山は「一斬境内地」と称し、高野山全体が総本山金剛峯寺、
全域がお寺だそうです。
まずは「正門」、
写真の提灯を見てもわかるように「金剛峯寺」には寺紋が2つあり、
左が豊臣秀吉拝領の清巌寺の寺紋「五三の桐」
右が高野山の鎮守・丹生都比売神社の寺紋「三頭右巴」です。
通常は一つの寺紋なのに、2つの寺紋が一緒に見られるこの正門は
「金剛峯寺」の建物の中で一番古いものだそうです。
次に「玄関」、
正面の大玄関は天皇・皇族や高野山重職だけが出入り出来、
小玄関は上綱職の僧侶が出入りし、一般の僧侶は昔は裏口より
出入りしましたが、今は一般参詣入口を利用しているそうです。
高野山では門の出入り一つでも、厳しいルールが存在していたようです。
「金剛峯寺」の屋根の上には天水桶が置かれています。
これも予めテレビ情報で知っていたのでそこに目が行きましたが、
ボンヤリしてると、そんなこと気付きませんよねぇ~~
普段から雨水を溜めておいて、いざ!火災が発生した時には
火の粉が飛んで屋根が燃え上がらないように桶の水をまいて
湿らすという役割があったようです。合理的な考え方ですよねぇ!!
高野山はそれほど火災による被害を受けて来たようです。
「大広間」:大広間は重要な儀式・法要が執り行われるところ。
「持仏間」:皆様のご家庭の仏間にあたいするところ。
ご本尊に弘法大師を奉安し、両側には歴代天皇御尊儀のお位牌や
歴代座主のお位牌をおまつりしています。
「梅の間」「柳の間」「別殿」「新別殿」・・・などなど、
名人の描いた襖絵をゆっくりと、堪能しながら各部屋を廻り見る!!!
「新別殿」では一般参詣の私たちも、お茶とお菓子のお接待を受けました。
「蟠龍庭」:2,340平方メートルの石庭は国内最大級!!!
雲海の中で向かって左に雄、右に雌の一対の龍が向かい合い
奥殿を守っているように表現されているそうです。
龍を表す石はお大師さま生誕の地である四国の花崗岩、
雲海を表す白川砂は京都のものが使われているそうです。
曹洞宗の総本山、福井県の「永平寺」にも行かせていただいたのですが
厳かな雰囲気は優とも劣らず・・・心洗われる想いでいっぱいになりました。
最後に高野山奥の院「弘法大師御廟」へ・・・・
高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまがご入定されている”聖地”です。
正式に「一の橋」から参拝いたしました。
約2キロメートルの道のりを、聖地の名にふさわしい空気感を感じながら、
およそ20万基を超える諸大名の墓石や、記念碑、慰霊碑の数々の中を
樹齢千年に及ぶ杉木立の中を粛々と歩きました。
途中でこんな光景に出会いました。・・・さすが密教の修験場ですね・・・
それにしても戦国時代や江戸時代のあらゆる武将の名前の墓標が・・・
徳川家一族を筆頭に・豊臣家・上杉謙信・武田信玄・伊達政宗・石田三成・
明智光秀・織田信長・大岡越前守・加賀前田・浅野内匠頭・・・などなど、
皆さんご存知の名前ばかり・・・1つ1つ見てたら限がありません。
でも、霊気漂う場所・・なんか背筋の辺りに寒気を感じたパワースポット、
いつもより、ちょっと早足で通りすぎようとしてしまいました~~~
奥の院は、死後魂がやってくる「他界」と信じられていて
戦国大名たちも、弘法大師の側で眠りたいと願ったんでしょうね。
弘法大師は、御廟で今も生きて瞑想を続けているとされ、
毎日食事が届けられているそうです。
最後に御廟霊前では、妻と2人で家族皆の家内安全・無病息災をお祈りして
本日の高野山詣でを終了しました。
慌ただしく廻りましたが・・・高野山って、こんな世界でした。
ほんの少ししか理解できていないと思いますが、
人生におけるたった一度の貴重な体験をさせていただきました!!!!
《タケナカ》
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