清水の舞台。
2015年08月15日
こんにちは。
先日のブログでお伝えしました「わかさスタジアム(西京極野球場)」での息子の野球の試合の結果ですが…
負けちゃいましたー。残念。
実はこの日、午前11時30分と、夕方4時30分からの2試合が組まれていて、間に3時間ポッカリ空き時間ができてしまいったんです。
どうしようかなー。
せっかく京都まで来たんだから清水寺へでも行ってみるか…
そう思いたった僕は西京極から河原町まで阪急電車で移動する。
電車を降りて改札を抜けて地下の1番出口の階段を上がると…
まぁー暑いこと。
海外からの観光客のまぁー多いこと。
大阪生まれ大阪育ちの僕ですが、これまであまり京都に来ることがなく…夏に来たのは初めてだったかもしれません。
とにかく暑い!!
京都の夏をなめてましたね…反省です。
タオルで額の汗を拭いながら、テクテクと歩きます。
八坂神社を右折。
清水寺へと歩を進めます。
途中どこがで昼ごはんと考えてたんですが、食べる場所がほとんどない。
腹ペコを抱えながら。
暑さに耐えながら。
朦朧とした意識の中…群衆の中…僕はいったい何処に向かって歩いてるんだろう。
…なんて考えてる間に清水寺に到着。
300円の拝観料を払い、清水の舞台へ。写真や映像では何度も目にしていた場所だけど、実際足を踏み入れるのは初めて。
「清水の舞台から飛び降りたつもりで・・・」という言葉、有名ですよね。
江戸中期の浮世絵師、鈴木春信の「清水の舞台より飛ぶ女」
清水寺の古文書調査で「清水の舞台」から飛び降りる事件は、江戸時代に計234件にのぼっていたことが分かったんだそうだ。
ことわざ通り「飛び降り」が頻繁に起きていたことが実証されたが、時代背景には「命をかけて飛び降りれば願いごとがかなう」という庶民の信仰があったという。
調査は、清水寺塔頭の成就院が記録した文書「成就院日記」から、飛び降り事件に関する記述を抜き出してまとめたもの。
記録は江戸前期・元禄七(1694)年から幕末の元治元(1864)年までだが、間に記録が抜けている分もあり、実際は148年分の記述が残っていた。
調査によると、この間の飛び降り事件は未遂も含め234件が発生した。年間平均は1.6件。
記録のない時期も発生率が同じと仮定すると、江戸時代全体では424件になる計算という。
男女比は7対3、最年少は12歳、最年長は80歳代。
年齢別では10代、20代が約73パーセントを占める。
清水の舞台の高さは13メートルもあるが、生存率は85.4パーセントと高い。
10代、20代に限れば90パーセントを超す。
60歳以上では6人全員が死亡している。京都の人が最も多いが、東は現在の福島や新潟、西は山口や愛媛にまで及んでいる。
門前町の人らが相次ぐ飛び降り事件に耐えかね、舞台にさくを設けるなど対策を成就院に嘆願したという記録も残る。
明治五(1872)年、政府が飛び降り禁止令を出し、下火になったという。
お寺では「ことわざがなぜ生まれ、現実はどうだったのかという関心から調査を始めた。江戸時代に庶民の間で観音信仰が広まり、清水観音に命を託し、飛び降りて助かれば願い事がかない、死んでも成仏できるという信仰から、飛び降り事件が続いたのだろう」と話している。
高いところが苦手な僕は清水の舞台から飛び降りる勇気など、端から持ち合わせてはいないのだ(笑)
次頑張ろうぜ!!
《ウエノ》
先日のブログでお伝えしました「わかさスタジアム(西京極野球場)」での息子の野球の試合の結果ですが…
負けちゃいましたー。残念。
実はこの日、午前11時30分と、夕方4時30分からの2試合が組まれていて、間に3時間ポッカリ空き時間ができてしまいったんです。
どうしようかなー。
せっかく京都まで来たんだから清水寺へでも行ってみるか…
そう思いたった僕は西京極から河原町まで阪急電車で移動する。
電車を降りて改札を抜けて地下の1番出口の階段を上がると…
まぁー暑いこと。
海外からの観光客のまぁー多いこと。
大阪生まれ大阪育ちの僕ですが、これまであまり京都に来ることがなく…夏に来たのは初めてだったかもしれません。
とにかく暑い!!
京都の夏をなめてましたね…反省です。
タオルで額の汗を拭いながら、テクテクと歩きます。
八坂神社を右折。
清水寺へと歩を進めます。
途中どこがで昼ごはんと考えてたんですが、食べる場所がほとんどない。
腹ペコを抱えながら。
暑さに耐えながら。
朦朧とした意識の中…群衆の中…僕はいったい何処に向かって歩いてるんだろう。
…なんて考えてる間に清水寺に到着。
300円の拝観料を払い、清水の舞台へ。写真や映像では何度も目にしていた場所だけど、実際足を踏み入れるのは初めて。
「清水の舞台から飛び降りたつもりで・・・」という言葉、有名ですよね。
江戸中期の浮世絵師、鈴木春信の「清水の舞台より飛ぶ女」
清水寺の古文書調査で「清水の舞台」から飛び降りる事件は、江戸時代に計234件にのぼっていたことが分かったんだそうだ。
ことわざ通り「飛び降り」が頻繁に起きていたことが実証されたが、時代背景には「命をかけて飛び降りれば願いごとがかなう」という庶民の信仰があったという。
調査は、清水寺塔頭の成就院が記録した文書「成就院日記」から、飛び降り事件に関する記述を抜き出してまとめたもの。
記録は江戸前期・元禄七(1694)年から幕末の元治元(1864)年までだが、間に記録が抜けている分もあり、実際は148年分の記述が残っていた。
調査によると、この間の飛び降り事件は未遂も含め234件が発生した。年間平均は1.6件。
記録のない時期も発生率が同じと仮定すると、江戸時代全体では424件になる計算という。
男女比は7対3、最年少は12歳、最年長は80歳代。
年齢別では10代、20代が約73パーセントを占める。
清水の舞台の高さは13メートルもあるが、生存率は85.4パーセントと高い。
10代、20代に限れば90パーセントを超す。
60歳以上では6人全員が死亡している。京都の人が最も多いが、東は現在の福島や新潟、西は山口や愛媛にまで及んでいる。
門前町の人らが相次ぐ飛び降り事件に耐えかね、舞台にさくを設けるなど対策を成就院に嘆願したという記録も残る。
明治五(1872)年、政府が飛び降り禁止令を出し、下火になったという。
お寺では「ことわざがなぜ生まれ、現実はどうだったのかという関心から調査を始めた。江戸時代に庶民の間で観音信仰が広まり、清水観音に命を託し、飛び降りて助かれば願い事がかない、死んでも成仏できるという信仰から、飛び降り事件が続いたのだろう」と話している。
高いところが苦手な僕は清水の舞台から飛び降りる勇気など、端から持ち合わせてはいないのだ(笑)
次頑張ろうぜ!!
《ウエノ》
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